伊東潤『吹けよ風 呼べよ嵐』(祥伝社)
吹く「風」と、呼ばれる「嵐」。謙信と信玄は天と地のすべてを吹き飛ばす大嵐のような存在だ。
今回はかれら英雄のもたらす暴風と雷雨のなか、大地に根を下ろす人間の物語である。
これまで大合戦を題材とする小説といえば、軍勢を率いる総大将か軍師が主人公と相場が決まっていた。しかし今回は信州の一領主である須田満親が主人公である。須田氏は今回の大河ドラマに現れる真田氏や室賀氏にも及ばない規模の一領主だった。かれらは武田や織田といった大勢力の盛衰に大きく振り回されているが、満親もまたその点では同じだが、『真田丸』の真田氏ほど狡猾ではなく、また室賀氏ほど臆病でもない。驚くほどまっすぐなのである。大勢力同士の係争地で生き残らんとするには、知恵ばかりではなく、おのれの器量を賭けてでも貫かねばならない一存があると言わんばかりに満親は何者にも屈しない。
満親にすれば、風や嵐も恐るべき災厄ではなく、武士としての本意を貫くための大舞台となる。謙信や信玄が風を吹かせ、嵐を呼ぶ巨神なら、満親は是非を問わず、そこに乗り入れる一個の男なのである。
これまで伊東潤氏は国衆と呼ばれる中小規模の領主階層を題材にいくつもの小説を書き、好評を博してきたが、中間管理職のように人の顔色を伺いながら生きていく侍たちの、戸惑いと悲哀とが強く打ち出されていた。それが今回は不義に屈することなく、自らの本意を貫き、運命の刻(永禄4年[1561]9月10日)を駆け抜けていく若者の運命を描く。満親の先にあるのは、希望かそれとも絶望か。