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謙信もし生き長らえれば

      2017/02/26

『上杉謙信の夢と野望』を読み返すと、気負い立った六年ほど前の自分の若さに眩しい思いがします。当時の私は暑苦しいほどの使命感に燃えていました。

今では信じられないかもしれませんが、本書の執筆前「上杉謙信」というと、そのイメージは史上最低レベルといっていいぐらいに落ち込んでいました。小説『迷走大将 上杉謙信』をはじめ、その他一般書や学術書でも謙信のマイナス面を過度に論じる傾向が色濃くありました。史料的な裏付けの弱い性指向が強調され、人身売買を推進したかのように見える史料の切り貼りや、越後軍が略奪を目的とする口減らしの遠征を繰り返したとする主張がそれらしく繰り返されていたのです。最初は私もこれを真に受けていましたが、自分で調べていくうち、「これはどうも怪しい……」と気づきました。そこで既存の誤ったイメージを払拭したいとの一念に駆られたのです。

こうした極端な謙信像が普及したのは、徳川時代に創られた虚像が後年さらに美化されたためでしょう。「義将」「聖将」のキャッチフレーズとともにリアリティを喪失した偉人像への反発がすべての元凶となっているのです。いきすぎた謙信像を打ち壊すのが歴史愛好家の課題となっていました。しかし虚像への違和感から生じた謙信像もまたリアリティを欠いており、「ならば近年の偏った謙信像を改めるには、別の謙信像を提示するしかない」と、本書で新しい謙信像を提示させてもらったものです。

本書を執筆するにあたって、小松氏に多くをご教示いただきました。氏もまた謙信に特別の思い入れのある人で、特に古文書の読解と年次比定に並ならぬ労力を注ぎ、大いに示唆を与えてくださいました。たとえば、長尾政景急死に関する関屋政朝書状の年次比定、また近衛前久書状の受取人のひとり長尾右京亮(景信)の人物比定、また手取川合戦の河田窓隣軒・岩船藤左衛門尉宛謙信書状の年次比定、これらは氏の考察に負うところが大きく、御礼の言葉もありません。永禄7年7月8日、信濃に出陣するはずだった越後軍が、政景の急死によって月末までの延期を余儀なくされたのも小松氏からご教示頂いたものです(ただし野尻落城の年次比定は見解が異なることを明確にして貰いたい旨をお知らせいただきました)。

本書は現在の私の考えからみると、解釈が異なっていったところが増えていて、長尾政景の急死についてはいずれ、事故死説を訂正するつもりでいます。第四次川中島合戦についても、近年の『戦国の陣形』『歴史街道』『歴史街道』の川中島合戦論をご覧の通り、本書で説いた合戦模様を少しずつアップデートしているところです。いずれ別の形でまとめなおし、更新したいと思うのですが、それがどのような形になるかはまだわかりません。本書の復刻は、未来の自己批判への準備につながる伏線とお考えくだされば幸いです。

ところでよくメディア関係者から聞かれることがあります。「もし謙信があと何年か長生きして、信長と戦っていたらどうなっていたか」という問いです。

戦いの勝敗までは予断できませんが、もし謙信が勝利していたら、何をしたかったのかはある程度の見通しが立てられると思います。私は、軍勢を連れた謙信が京都に入ったら、できるだけ速やかに足利義昭あるいは義尋を擁立して、室町幕府中興の祖たらんとしただろうと考えます。このとき、後継候補の景虎・景勝・道満丸は、数少ない貴重な手札であり、心許し合う身内として、幕府を主軸とする新秩序を抑えるため、要所要所へと、調和の取りやすい関係に置かれたことでしょう。

もちろん、これらの推測は厳密な史料に基づく想像ではありません。主観に基づく歴史語りです。現在の学術的な生産性にはつながらないだろうと思われます。しかし主観で語る歴史もまた歴史の連続性を保つ上で重要な営みであることに変わりないのは言うまでもないでしょう。

もし将来、今でいう日本人がすべて滅び、いなくなったとしても、この列島に住み着いて久しい異星人や人工知能のロボットが、我がことのように「川中島合戦」や「明治維新」を熱く語り合っていれば、「日本の歴史と文化は生きている」と言えなくはないものと思います。

ですが、もし我々が永遠の命を得たとして、そのとき合理性を名目に、公用語を英語に改めたり、デジタルデータへの移行保存が完成したからと史跡を現代建築に建て替えたり、もう使わないからとすべての遺品を換金して国庫にまわしたりすれば、たとえどれほど立派な歴史教科書があったとしても、データベースが整っていたとしても日本の歴史はそこで深い断絶を目にするのではないでしょうか。この列島は文化的な空白地と化すのです。

上杉謙信を考える、中世日本に想いを寄せる、小さな紛争の勝ち負けに熱意を寄せて論じ合う。これら歴史に対する素朴な関心の積み重ねが、日本人を日本人たらしめる要因として存在していると私は考えています。今後も日本人が自分の主観で歴史を語るための素材を提供したいと思うものです。

謙信もし生き長らえれば、何があったか。こうした他愛もない昔話を取り留めもなく語り合える英雄たちがこの地にいて、それを我々は語り継いできたのであり、これからも語り合えるのです。それこそが文化と歴史のある国の財産だと考えます。

さて、先ほどお名前をあげました小松氏ですが、現在も禁欲的に史料の年次比定と当時の情勢、人物の実像を詳らかにする作業を進めています。これまでの上杉氏研究を一変させうる考察も少なからず見受けられます。

越後長尾・上杉氏雑考

小松氏の考察は、特に研究界から広く目にされたいと考えます。再整理の必要な上杉家関連の古文書を見る上で、今後無視できない必読といえるブログです。そして、中近世の歴史研究ではまだインターネット上の考察が引用されたり、参考文献にあげられたりする習慣は見られません(社会学では一部に見られる)。さまざまな壁があるのは、私も各所で実感してきました。長年、インターネットのみを媒体に情報を発信していた私は、何度か無念の思いを重ねたため、舞台を書籍に移すことにしましたが、こちら側に入っても壁の存在に直面することはしばしばあります。しかし小松氏の洞察力には、これまでの慣習を変えうる力があると思います。どうぞブックマークに入れてご覧ください。

 - by乃至政彦