研究と物語と消費物の衝突
北条早雲には、その出自をめぐって諸説ある。
これらはときに思わぬ形で衝突する。俗説と学説、通説と異説がぶつかって火花を散らす。
これは早雲という人物に無形のイメージの共有があるからこそ、起こる事態である。
そして、その中身の是非をめぐり衝突する様子こそ、そのまま歴史が生きている証となる。
これらのうち、どれかひとつが絶対的に正しいという考えに陥ってはならない。火花のもとにはいずれも相応に一理がある。現在の研究視点でみて間違っていると思われる歴史にも必ずなんらかの機序はある。
もちろん、火花のもとを批判してはならないわけではない。火花のもとすべてを平等に愛することも不可能である。その強制を唱えるのは欺瞞となる。
ある人が早雲素浪人説に基づいて、大器晩成論を語った。そこへのツッコミは大切だが、俗説に依る者に歴史を語る資格はないと、自分とは異なる観点の発言を奪おうとしたり、排除しようとしたりするのは、とても危うい思想だと思う。
つまり、「こんな間違った歴史観の発言があらわれないよう、われわれに何ができるか」と考える人がいたら、気をつけてほしいということです。