戦国武将と男色について
2018/02/03
過去に上梓した『戦国武将と男色』ですが、本書は男色・衆道の俗説に対する史料批判を初めて行った研究書です。
日本性教育協会『現代性教育研究ジャーナル』コンテンツNo.47(2015年2月15日発行)のレビューでも「今後の研究発展における大きな前提」と注視されたように、日本人が自分の国の性愛を語る上で外せないはずの「男色の歴史」がそれまで研究対象とされていなかったのです。
本書では、中世の男色・衆道が現代の「同性愛」と同じではなく、「少年愛」だったことを明らかにしました。近年の咀嚼にとらわれず、当時の史料を見てみると、それは「風流」や「嗜み」として文化的な装いを整えているように見えますが、その実ウィキペディアに立項されている「カトリック教会の性的虐待事件」のごとき性的虐待としての側面が潜んでいました。
中近世における男女の恋愛には、「結婚」という社会的終着点がありました。しかし年長の男性が少年児童を愛玩する「男色」にはそれがなく(養子縁組がせいぜい)、しかも愛玩するのは若いうちだけだったことから、当時からこれを少年児童への虐待だとする声がありました。
年長者に権力があれば、少年を社会的な地位を引き上げることもあったのですが、これにも反発が少なからずありました。現在でもどこかの社長さんが愛人を秘書に取り立てたら、よほどのことがない限り相応の反発を集めるでしょう。もし愛人に実績があったとしても社長と関係があることで陰口の対象となりえます。中世において権力者が男色相手を引き立てる行いは、「傾国」の始まりだとして忌み嫌われました。近世初期には、少年を取り合う喧嘩騒動や少年への暴行が絶えないことから、幕府と諸藩は男色を強く規制する動きに向かっています。
天下泰平の時代になると、人々は昔語りをするのですが、そこで愚将の典型例として「男色にハマる戦国武将」のお話をたくさん作りはじめます。そこで生まれた物語は現代人の視線をも狂わせます。あとの時代に作られたお話の影響を受けて「戦国時代=男色天国」という思い込みが浸透して、中世当時の史料の誤読が増殖され、「あの人もこの人も男色」とゴシップ的に見る虚構の男色史が浸透してしまったわけです。織田信長が前田利家の「髭を引っ張った」話や、武田信玄と高坂昌信の「愛のラブレター」話も史料を読みなおすと驚かされるばかりです。先ほどとりあげたウィキペディアですが、日本の男色に関する記事をひととおりご覧になり、そのうえで本書を読むとその格差に驚かれると思います。
上梓してから二年を過ぎましたが、いささか舌鋒鋭く従来説を批判しすぎてしまったことを反省しています。このためネットのユーザーレビューでは苦情の声が並びました。しかしそれも今は昔。批判された方々からも知識として消化され、内的理解につながりつつあるらしいのがせめてもの救いです。
わたしは、皆さんに自分で納得できる男色史を語ってもらいたいと願って考える材料を提供しただけなので、どなたがどのような感想をお持ちになろうと構いません。むきだしの憎悪を受けるのは精神的に答えますが、この姿勢は今後も通していきたいと考えています。語るため、考えるための材料を提示する。それがわたしの仕事です。