戦国八陣の実相
最新刊『戦国の陣形』、早いところでは本日から店頭に並んでいるようです。
今回は本書を書き上げるにいたる研究プロセスを一部披露したいと思います。
巷間に陣形の基本八種として「戦国八陣」があったといわれています。インターネットで「戦国 陣形」で検索すると山のように似たような情報が出てくるはずです。歴史学の重鎮が監修する『戦国手帳』でも紹介されています。このように陣形といえば戦国八陣といえるぐらいに有名です。しかし、これがどう動いたのかを考察する研究はこれまでまったくありませんでした。なぜ研究がなかったのでしょうか。ひとつは、その実在が確かな史料に認められなかったためです。
陣形華やかなりし頃とされる戦国期当時の史料を探してみた限り、「魚鱗とはこういうものだ」「鶴翼はこうである」などと丁寧に説明するものはどうやら一つもなさそうでした。ここから中世・戦国・近世の軍事史を論じる研究者が陣形を取り上げない理由が浮かび上がってきます。では陣形以外の軍事研究はどうかというと、「戦国の大名軍は山伏合戦に毛が生えた程度」「騎馬隊なんてありませんでした」などと定型の陣形を編成することからして難しかったんじゃないかと想像させる論考が多く、しかも同じ場で「戦国八陣とは」などと一次史料に基づかない説明をしている人がいることから、陣形の真実はますます掴み難いものに見えてきます。
そこでまずは陣形とはどこから生まれた概念であるかを追うことにしました。自分の青年期と少年期に陣形を紹介した雑誌やムック本などを順番に並べ、その変容を眺めながら、10年前、20年前、30年前の陣形への理解を当時の感覚を呼び起こし、脳裏に復元していくのです。すると、「あ、我々はこうやって信じたいものを信じてきたのか」とひとつの受容史が、自分のなかで編纂されていきます。論文にしてコンテンツ文化史学会かどこかに投稿しようと思いましたが、査読に落ちたらすべてパーになるというし、体調不良があって先行き不安だったのもあって、学界によりも普通の読者への貢献するを優先することしました。とりあえず、陣形の受容される経緯は雑多なままハードディスクの奥深くへと封じて、ここから陣形論の出典に使われた史料(意外と明記されていない)がどこにあるのかを図書館やデータベースで物理的に調べていくことにします。分厚い資料集を探し歩き、取り寄せては、目を通し、そして「キーワード」となる言葉を見つけたら、また最初から余さず読み返すわけです。男色のときもそうでしたが、先行研究のない分野に踏み込むときは、こういう繰り返しを強いられます。ほとんど阿呆になりきらなければできない作業です。モチベーションになったのは、友人の伊東潤先生と編集者さんがわたしの研究に関心を持ってくれたことです。おかげですべてを仕事として注力することができました。
そうするうちに巷間よく語られる「戦国八陣」が何ものなのか、その輪郭が見えてくるので、キリの良いところを見つけ、戦国期当時の史料およびそれらに基づく研究との整合性と矛盾を浮かび上がらせていく作業に移ります。するとあとは自ずから語るべきことが定まっていきます。ここで自分の研究が通常の研究から相当かけはなれたところにいる孤独感とともに着地点を探ります。着地すると、その反動でまた想像力が跳ね上がります。浮遊の間に得た力で、既存の説がそれまでとは別の視点でまったく別物に見えてくるのです。それでようやく、この体感を読者に伝えるため、執筆に入ります。読者に、既存の思考に無双するための武器を持たせて、素振りをしてもらうまでがわたしの仕事になるわけです。
魚鱗や鶴翼といった陣形は確かに実在したのですが、より高度化させようと八種類の陣形にしたところ、ほとんど有効に機能せず、新たに現れた別の戦闘隊列がこれを凌駕して、徳川時代までに日本独自の軍事編成思想を普及させました。本書はこれを極めて平易な言葉で説明することで、陣形を介しての日本隊形変遷史を試みたものです。
中世から近世まで国内にはたくさんの軍事史料が残されています。軍勢着到状、軍勢催促状、軍役定書、軍役帳、軍法書、陣立書(行列と座備、旗本と全隊の違いあり)、軍書、兵書などと豊富に分類されていますが、これらを総合的にリンクさせる研究はこれからです。事始めとしてまずはあっさり、点と点の結びつけ方を提示していければと思います。
最大のキーマンは村上義清。
お楽しみいただければ幸いです。