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車懸かりは陣形かそれとも戦術か?

      2018/04/14

巷説では上杉謙信が得意とする陣形に「車懸りの陣」があったとされ、多くの方はこうした円形陣を想起するようです。

車懸之備

上の陣形図は徳川時代の軍書『侍用集』に掲載される「車懸之備」ですが、本書は上杉謙信が用いた陣形と記していません。
ただ単に、飛鳥・雲龍・流行・乱劔・虎乱・大妄・井雁行直・車懸・輪違・松皮・臥龍・将基頭・虎頭・井雁行・衡軛・方円・鋒矢・偃月・長蛇・鶴翼・魚鱗といった数ある陣形のひとつとして紹介しているだけなのです。つまり、謙信個人の陣形とはみなされていなかったのです。
すると謙信が使ったという車懸りとは何だったのでしょうか。

車懸りの初出とされる『甲陽軍鑑』では、次のように記しています。

謙信は、我が味方の備えをまはりて、たてきり、いく度もこの如く候て、さい川(犀川)の方へおもむき候。[中略]それは車がかりとて、いくまはりめに旗本と、敵の旗本とうちあはせて、一戦をする時の軍法なり。

(『甲陽軍鑑』)

これは川中島合戦で上杉軍を見た武田信玄の観測です。図示化するとこのようになりましょうか。

車懸りの行

信玄は「あれは車懸りと言って、乱戦に持ち込んで、最後に旗本同士の決戦へと持ち込む動きだ」と説明しており、陣形ではなく軍法つまり戦術の名前として使っています。戦術は当時の言葉で言い換えると「行」(てだて)です。
つまり、ここで説明される「車がかり」とは、謙信の旗本が敵の旗本を攻めるための戦術をさしています。これは、「スペシウム光線」や「ライダーキック」といった必殺技の名前として受け止めるとわかりやすいでしょう。なお、上杉寄りの文献では「謙信公が車懸りを使ったとは聞いたことがない」としています。しかも、徳川時代の国学者が書いた謙信の一代記『北越軍談』をみると、これを「一手切(一手伐、一手限)」の秘術と呼んでいたことが伝えられています。それはやはり陣形というよりも戦術です。

ところが徳川時代の軍書が陣形としての車懸りをインパクトある形で紹介すると、「あ、車懸りは陣形だったのか」とする受け止め方が生じたらしく、ここから『甲陽軍鑑』や『松隣夜話』などに記される謙信の車懸りが「陣形だった」と誤解されていきます。はじめに陣形を書いた軍学者は「謙信の必殺技を誰でも扱える陣形」としてこのような円形陣の設計図を書いたのかもしれません。なお、車懸かりの陣が戦国時代に実用された様子はないのですが、これに影響された軍記や布陣図が後世の軍学者や歴史家の目にとまり、後世の我々に咀嚼不足の情報を紹介することで、「わかりやすいが納得できない」ものとして広まってしまったのです。

なお、「車懸りの陣とは、攻撃するとすぐにその部隊が下がり、また別の部隊が攻める循環式の陣形だ」といったニュアンスで説明されることも多いのですが、この解釈は日本海海戦の丁字作戦(多分に伝説視されており、この作戦名も実態からかけ離れているという話を聞きます)を下敷きにしているように思えます。管見の限りでは徳川時代中期までの文献で、車懸りをそのように述べている文章は覚えがありません。

戦国の陣形

 - by乃至政彦 ,